東京ジャーミイ小史
1917年にロシアで革命が起き、ロシアに在住していた多数のトルコ人がロシアから避難せざるを得なかった。
そのなかで、カザン州から満州を経て日本に避難したトルコ人の多くがその後東京に定住した。
マハッレ・イ・イスラミッイェ協会(1922)を結成し、富ヶ谷小学校の分校として避難民の子供達の教育の場として小学校を設立し(1937)、
日本政府の援助の下に初代のイスラーム礼拝場、東京回教学院(1938)を建設した。
この礼拝場の建設に当たった避難民の中で特にアブデゥルハユ・クルバン・アリおよびアブドルレシド・イブラーヒムは指導者的な役割を果たした。
1938年から1984年までに祈りの場としての役割を果たしてきた東京回教学院は、老朽化が進み、1984年に閉鎖、1986年には取り壊された。
跡地が、マハッレ・イ・イスラミッイェ協会にかわって1953年に創設された東京トルコ人会によって、「ジャーミイ再建」を条件に、トルコ共和国に寄付されることになった。
トルコでは、1997年に、トルコ共和国宗教庁長官メフメット・ユーリ・ユルマズを総裁とし、「東京ジャーミイ建設基金」が設立された。
この基金はトルコ全土から寄付金を募集し、集まった寄付金だけでなく、現在の東京ジャーミイの建設資材で、水とセメントと鉄筋以外のものすべてを日本に送った。
また、トルコ本土から100人近い建築や芸術職人が送られ、一年間ほど当ジャーミイの建築や装飾のために滞在した。
1998年6月30日に開始されたジャーミイ建設事業は日本とトルコの関係者の努力の結果二年間あまりで完成した。
2000年6月30日盛大な開館式が行われ、東京ジャーミイが礼拝、情報交換、そして文明の対話の場としての機能に復帰することになった。
東京ジャーミイ・トルコ文化センターの建物の躯体工事は鹿島建設株式会社によって行われた。
設計は、現在トルコ宗教建築の代表建築家ムハッレム・ヒリミ・シェナルプである。内外部仕上げ工事はトルコ芸術職人の手でなされた。
日本側プロジェクト調整役は鹿島建設の伊藤澄男および若林明の両氏で、現場監督は古川鶴喜、副現場監督は小俣悌二である。
トルコ側コーディネーターはサミ・ゴレン氏で、現場監督はムスタファ・イスケンデル氏である。
東京ジャーミイのキターベには、トルコ現代詩の代表者のひとりでもあるイスケンデル・パラ教授によって、当礼拝場建設完成の年号を示す以下の詩が作成されている:
感謝、感謝 開館の日を迎えたこのジャーミイ
イスラーム教徒すべてに喜びをもたらしたこのジャーミイ
以前楽園であったのに
鳥たちが飛び去って寂しくなっていたこのジャーミイ
奇跡を起こした日本人でさえ感動した
トルコ職人の手で、
もう一度生まれ変わったこのジャーミイ
美しい姿でよみがえらせたヒリミ
再び信者で溢れるようになったこのジャーミイ
現世にも来世にも刻まれることになったその日付
太陽の国に聖光となった東京ジャーミイ
(イスラーム・ヒジュラ暦1419-1421)
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